ところで、菊池君は、この私の抗議のやうな文章を、にぎりつぶして、東京日日新聞の月評の欄に出さなかつた。それで、さういふ事があってから一週間ほど後、私が、銀座通りを散歩してゐた時、偶然、菊池君に行きあつたので、「やあ、」と聲をかけてから、「このあひだ、君に速達でたのんだもの、出してくれなかったね、」といふと、菊池君は、私を見あげながら、例の癖で、ほそい目をはげしくまばたきしながら、「……あんなもの、君、出せないよ、」と、もちまへのカン高い聲で、いつてから、すぐ、「君、『パウリスタ』で、コオヒイ、のまないか、」と、いつた。「うん、」と、私は、すぐ、應じた。
思へば、あの頃は、はたからは敵同士のやうに思はれてゐた、若い作家も評論家も、筆をとればずゐぶん思ひきつた酷評をしながら、何のわだかまりもなく、心の底では親しみを持つてゐた、われ人ともに。
宇野浩二著「蔵の中・子を貸し屋」岩波文庫 解説より
素晴らしい文章です。
今日は春の嵐、ゆく人来る人、皆、爆弾低気圧が来るでー危ないでーと仰っております。
夜が一番心配されているようですが、まさに今夜、ドントクライスタジオで御座います。
嵐なんか知るか!
大事なスタジオ故、是非とも電車よ止まらず、僕らを新宿まで届けて下さい。
もちろん、帰りの電車も頑張ってください。特にそこ大事です。
ドントクライベイベー町田は、文学である、改めて深く考えさせてくれた上記引用を胸に、気合いを入れて行って参ります。
キツネ!!
PS.
昨夜食事をした際、写真を撮ったんです。
とんでも無いものが写りこんでいました。
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